6週間異国で過ごした夏の話

まとめ的サムシングです!facebookにダイレクトに上げるとTN的にアウトだと思ったのでブログにて投稿してます。良ければ読んでやってください笑

あと研修の雰囲気をもっと知りたいぜって人はこのブログ読んでもらえたらうれしいです。

 

カンボジア6週間ボランティアを終えて】

めちゃくちゃ久しぶりの投稿です。
私はこの夏、8/30~10/13にかけて、カンボジアでボランティアインターンに参加して来ました。(もう1か月たったとは…😫)
たくさんの人にサポートしていただきました。なぜカンボジアに行き、何をして、何を感じたか。それを伝えることをして初めて私の研修は終わったと言えると思います。

✔なんで行きたいと思ったん?
成長したい。発展途上国を見てみたい。
成長したい、を具体的に言うと、何か夢があって、そこに向かって自立してゴリゴリ進んでいっている人。主体的に行動できる人。
主体的な自分になりたいな、と思っていたために、とにかく「海外へ飛んでみたい、成し遂げてやりたい」そんな風に思って飛びました。
正直国なんて、発展途上国ならどこでもよかった。その中でカンボジアを選んだのは、世界の中では「最貧国」の中の一つであるということと、40年前まで戦争があった国だったからです。

✔何してたん?
私の仕事はプノンペン郊外にあるS.C.A.OというNGOで、英語を教える、というものでした。実際私の英語のレベルなんてめーーっちゃ低いので、教えてたのは幼稚園高学年〜小学校低学年くらいの子どもたちです。

✔S.C.A.Oの紹介
Save Poor Children in Asiaの略称です。
創設者Mr.samethは、英語教育の重要性を感じて自分で学校を建て、無償教育を始めたという人。
生徒は幼稚園〜20歳くらいの人、と年齢に決まりはなく、5段階のレベルの授業に分かれています。
学校といっても授業をするのはのは屋外。屋根とホワイトボードと机椅子があるだけの場所です。
8月から1年間通して授業を行います。
月の初めにはプレースメントテストがあって、今あるクラスに毎月新しい子を入れる仕組みになっています。
赤十字から2人、ボランティアが来ており、ボランティアがボランティアハウスに住むためのお金でこのNPOは生計をたててます。
MR.Samethはじめ、みんな本当にやさしかった!!!日本でもカンボジアでも人の温かさに触れまくっているんだなあ、ありがたいなあって感じます。

✔6週間を振り返る
1・2週目
環境に慣れたなあ~って感じたのはちょうど2週間たったころでした。それまでは2つ授業を担当させてもらっていました。
両方同じレベルの子たちで、一つは5人ほどの小クラス、もう一つは2、30人ほどの大クラスを二人で担当していました。

3・4週目
3週目はカンボジアのお盆、プチュンバン。なのでこの週に何としてでもアンコールワットがあるシェムリアップへ行こうと決めていました。ですが2週目の最後にスイミングプールに行った後、熱とめまいと吐き気で病院へ…
1回目の診察では採血されず、吐き気を抑える薬を出され、無理やりシェムリへ。でも謎の貧血と気持ち悪さが消えなかったためもう一度病院に行ったら、まさかの「デング熱」。
「1週間は絶対安静」と言われ、4週目もホステルで缶詰めになってました。治りかけの時は手がむくんだり、紫っぽくなったりしました(^^;

5・6週目
もう一人の日本人で2回生の真穂さんがいなくなって、はじめてドイツ人3人、日本人1人、という状況になりました。
正直辛かったです。真穂さんに頼り切ってた自分に気づくのは、いなくなった時なんですよね。いろんな意味で「研修始まったな」と思いました。
大クラスの授業はうまく回らなくなり、授業も何をすればいいのかわからなくなった。教科書の内容が薄く、生徒の進度の差も違う。で、終わったらすぐにgo home go home言うし…
どうしても自分で統率が取れなくなって、帰国の4日前にほかの先生方に授業を託して、最後の3日間は閉じこもってました。

✔原因 どうして動かなかったのか?
「主体的になりたい」と願う自分と、「怖いなあ、めんどくさいなあ、悪く思われたらどうしよう、失敗したら、中途半端で終わったら…」と言い訳をして動き出さなかった自分。動けなかったのではなくて、動かなかったのだと思ってます。
問題を挙げるならば
・ドイツ人のモチベが低い
・同じクラス内でもレベルの差がすごくできてしまっている
・SCAO3を建設中で十分なお金がない
・ボランティアが足りてない
・教室も古くなってきている
・授業の質が低い
などなど…もちろん解決できない問題もありました。
けど、やらないよりやった方がよかったんじゃないか。
失敗しそうに見えてもやってみるまで分からないじゃないか。
固定観念に縛られて、柔軟な発想ができないのは自分の悪いところ。それに何より、「環境を変えれば、インターンに行けば、自動的に自分は変われるんだ」そんな風に思っていた自分がいたのはまぎれもない事実でした。
「どれだけ環境を変えようが、理想の自分になりたいなら努力しなきゃいけない。努力ってしんどくてまじでやりたくないけど、それを超えなきゃ変われない。」っていう当たり前でいて避けていたことに気づかされたのが、この6週間での学びです。

✔一か月たったわけで。
渡航前、私がなりたい自分として掲げていたものは「主体的に行動でき、謙虚さを忘れないリーダー」でした。
でも帰国してから、それが本当に自分の思いからなのか、親や周りの価値観から醸成されたものなのかがわからなくなりました。
「本当に自分がしたいことって何?」
「心からの自分本来の価値観って何?」
「何をしているとき自分はワクワクするんだろう。楽しいんだろう。」
「自分本来の価値観って?志って…?」
もちろんそこに正解なんてないし、周りの人に影響されて自分の価値観は醸成されていくものだとも思います。
だからこそ
「仮定をおいて、それに向かって行動してみる。ダメなら新しい仮定をおいて検証。try&errorの繰り返し」
そしてその中で「努力すること」
それが自分の言う成長に向かっていくための方法なのだとわかっています。

どの道に決めてもそこには山があるし、絶対辛い道だし、挑戦したくない。義務でもないし。

でも最後に決断して前進していくのは自分。

自分のペースで向き合い続けて、自分の正解を見つけていきたいと思います。

day27~day34@デング熱完治からのボランティア再開

特に書くこともないけど、近況報告だけ。

デング熱は完治しました!(たぶん)

熱、気持ち悪さ等々がなくなってからも、先週の水曜日くらいまで手足がむくんだり、そのせいで足の裏が痛かったりしたけど、それはもうなくなりました👍

プノンペンで観光といってもほとんどなくて、もうし尽くしたのもあって(笑)
この土日も特に何もせず。もったいねえ~~~と思いながらも、ほんまにすることないというか、何かしたいこともないんよね。コンフォートゾーンにしがみついてるなあ、と思いながらもそこから抜け出さなかった。というか抜け出せない。日本帰りたい。

ホステルに泊まって、カンボジアにも増え始めたコンビニやスーパーを使って、平日だけアコモで耐えるように
ボランティアして。自分には質の高い授業できないから、工夫はするけど何とか耐え忍んでる状態で、ちょっと子供たちにも申し訳ない。

明日真穂さんが帰られるので、火曜から金曜まで日本人1人、ドイツ人3人で暮らす。いや生きていけるんやろうか。生きてはいけるけど月曜の時点でマジでつらい。真穂さんのおかげで低くなってた言語の壁がここにきて一気に跳ね上がった感。特にしゃべる内容とか、見つからないんだよなあ~~~というか、必要最低限のことしか話したくなくなる。英語しんどい…
明日から2週間(正確には金曜に帰るから、10日ほど)、がきっと一番しんどいんだろうなあ…(^^;

て感じです。この学校のシステム的にも突っ込みたいところはいろいろあるんだけど、英語もさほど話せず、周りのドイツ人もなにかと忙しく、自分もそこまで何かしたいと思えない。うーん…

なんかいまはこのドイツ人たちに囲まれてボランティア生活してるだけでアンコンフォートゾーンをとびぬけて、パニックゾーンです。

blank6 写真をあげまくるだけの簡単なお仕事


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真穂さんのつて で孤児院を訪問した時。

貧血がやばかったが。1枚目めっちゃ好き。

しっかりした子が多かった印象やなぁ。親がいない生活、私無理だ。


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お花もらった🤗💐かわいい。

 


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トンレサップ湖

※この時点でまだデング熱とは知らないために観光してるけど今考えるとたぶん完全アウト


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かものはしPJのお店にも行けた!可愛かった!

ぜひかものはしPJの活動も知ってください。

 http://www.kamonohashi-project.net


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アンコールワット!!

なんと貧血で立てなくなり中に入らずじまい。

このあとタブロームも行ったのに、ずっと待機してた…


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病院のカフェにうどんがあった…思わず買ってしまった…

Sunrise Japan hospitalって日本人スタッフさんも多い病院で日本人の方に見てもらった。きれいな病院があるあたり、カンボジアは海外ビギナーにはぴったりや笑

保険料の元を取る日が来るなんて考えてもなかった。

1回目に採血して欲しかったなぁ……

blank5 画像をあげまくるだけの簡単なお仕事



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ブラウンコーヒー☕カンボジア初のコーヒー屋さん。スタバより居心地いいんだこれが笑

 


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パゴダに行ったとき。見つめ合うSarahと真穂さん。笑


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メニューにないお粥を作ってくれた台湾料理屋さん。中おしゃれ。トトロがいるよ!

 


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シェムリアップで行った日本人経営のクッキーショップ🍪お土産確保🍪

 


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シェムリアップのほうが観光地なんで日本人にもよく出会う。一人で観光中の京大生(就活も終わってる)とご飯食べた時。正確には私はデング熱で食べてない。

 

day24~day26@dengue fever、暇

day24

金曜日

シェムリアップを出発してプノンペンに戻る。

いやーーーもったいない滞在でしたな…

8:30に出発してやっぱついたんは15:00か。陸路はしんどいわ…

この日はもう疲れたのですぐにホステルで就寝。

 

day25

土曜日

一人で二度目の病院へ。

いや、二度も病院来ることになるとは。

ここの病院はSunrise Japan hospitalっていって、日本人スタッフさんが多くいらっしゃるし、先生も日本人なので安心できる。きれいだし、日本の音楽のオルゴール流れてる😭

 

で、採血をしまして、結果デング熱でした。

なんで前回採血してくれへんかったん…絶対前回からデング熱かかっとったやん笑

シェムリいったし笑笑

 

ほんとまさか、自分が保険料の元を取ることになるとは思ってなかった。ましてやデング熱

「一週間絶対安静」らしく、暇な日々はまだ始まったばかり…(;´д`)トホホ

 

食欲があるのがすべての救いだね!!!!!

 

day26

日曜日

はい、暇です。

今日は真穂さんにイオンで食料買ってきてもらった。

真穂さんがいるのは今週いっぱい。来週の火曜に帰国されるので、そこからの10日ちょっとはボッチになる。

いやーーーーありがたすぎましたいろいろ。

今日は台湾レストランに行こうーー

 

シェムリアップで孤児院に行った時の話を書いてなかった。忘れないうちに書こう。

 

何人いるか→現在25人。

経営は→ほぼ寄付。スポンサーは一社だけ。職員(同じ施設にいた大人)は完全カンボジア人ボランティアで、給料無し。

連れてきてくれた男性(ソックンさん)はトゥクトゥクドライバーもやって生計を立てている。

孤児院に通う理由→家庭的、財政的に子供の面倒を見なくなって。親が孤児院に連れてくることもあるそう。遠方からも来るらしい。

 

カンボジアの職はあってももうからないとか。ソックンさんも昔はホテルでクルーをしてたらしいが、月収は80ドル。今私がいるのは高めのコーヒーショップだけど、こんなとこにこれないカンボジア人なんてごまんといるということを考えると心が痛む。

なので、未だにタイやベトナムに出稼ぎに行ってしまう親も多い。

 

カンボジアで地雷処理をしていらっしゃる元自衛隊員の高山さん(私の滞在期間中は日本にいらっしゃった)は、地雷処理した土地でできた質の高いキャッサバ芋芋焼酎にして売るビジネスをしていたし、かものはしPJもビジネスを人身売買で悩んでいた貧困地域の女性に提供してビジネスとして成功されている。

「この国には、本当に仕事がないのだ。」

これはちょっとした、気づきかもしれない。

day18-23@ついに体調を崩した。

 

土曜日

Mr.samethに誘われて総勢10人でパゴダとスイミングプールへ。

乗ってるのは普通のban。

この日がすべての元凶…

要は変な体制でめちゃ長い時間クーラーのきいた車内にいたうえ、プールにまで行かされて、頭痛を発症。

 

日曜日

11時間は寝たんだけどな。

朝起きると頭痛吐き気めまい熱だるさ…

日本人がいる病院に行きました。

ほんとはこの日にシェムリアップに行く予定だったのに…

 

月曜日

この日からカンボジアはお盆。

薬を飲むと気持ち悪さはかなり和らぐので、この日にシェムリアップへ。

どうしてもアンコールワットが見たいのです。

 

火曜日

謎の症状が良くならない…

いや困るわ…

戦争博物館はあきらめて、ホステルでゆっくりしてました。

 

水曜日

ちょうどここが前半最後の日になります。

バッファが2日あるから、私の研修期間は44日間。

アンコールワットの朝日を見るため4:30にトゥクトゥクドライバーさんと待ち合わせ。

雨で流れた。

 

木曜日

アンコールワットへツアーで行くも、謎の病発症。

アンコールワットを目前にして座って待機。

タブロームにも行かれへんかったし、雨でアンコールワットの夕日も見れず。

とことんついてないし、いい加減治ってもええんちゃん自分??

でも食欲はほぼ元に戻った。

 

 

体調崩したんマジショックやし、おなか壊したわけじゃないのも気持ち悪い。

この変な症状消えてほしい。ほんまに嫌。