day13@I love eating.

うおおまじで二週間たとうとしているうう

私はバッファが何日かあるので実質4週間以上は残されてはいるのですが。なんだか耐え抜ける気がしてきました笑

日本人もいていろんな方に助けられている状況なのに、耐えるなんて言っちゃいけませんね(^^;

 

さて月曜日ということでいつもの平日がやってまいりました。

私が持ってるクラスは3つとも、「英語で意思疎通を取るには程遠い」子たちです。

さらにSCAOは5,6個のレベル別に分かれているにもかかわらず、同じレベルの中にもめちゃできる子、普通の子、全然できない子、といろんな子がいます。これが一番難しい点。

今日一人の子に泣かれてしまった。彼はもうこの教科書は一周したんだろう。

たぶん新しいことが知りたい、ということだと思う。

でも彼はwritingとなると全然だめで、たぶんこのままだとテストに受かることができず次のレベルに上がれない。どうしたものか…

 

 

そして今日はいろいろと自己認知が深まった日でもあった。

発端は

「使ってる教科書の内容を把握して体系的な授業をしよう」

「自分、物事を順序だてて、mapのように俯瞰するの得意だな」と気づいたこと。

 

私の理想とする人のイメージ

「自考、自活する人。」…自分で見つけた課題に対し主体的に行動する人。

だ。具体的にはKBの先輩方の中でなら自分の見つけた問題に本気で取り組んでる人。とか。

 

一方、理想=なりたい自分、ではないということもわかった。

いつかのブログにも書いたが、自分は別になりたい自分像に近づきたい、と思わない

おそらく原因は、「もうほんまにいや。と思うくらい自己を抑圧した経験、そしてその努力が裏切られた経験」にあるだろう。

「もう苦しいことは二度としたくない」と思う自分。今もガチで思う。

つまり、障壁となってるのは「大変なこと、苦しいことに背を向ける自分」

(私が中3から高1に進級するときにコース変更した、っていう話です。知ってる人は知ってるかな。)

 

んでもって自分の性格は

強がり。頼まれたら断れない(≒自分で意思決定苦手/優しい)。

 

そして自分がしっくり来てる格言がこちら。

「脱自分、着自分」…@入会時に掲げた目標。確信度はいまだ高い。

「壁がある、だから行く。」

クボタのスローガンなんだけど、私はこの言葉が一番自分の価値観、理想を表現するのに適していると思う。

「正義の対義語は、悪ではなくもう一つの正義」

 

今日は最後に三番目の格言について話したい。

 

なんかとりあえずうごかなきゃなーーーと思ってた私は、

とりあえず「KBで、マジこれ使わねえええ、っていう文房具を集めてもらいSCAOに寄付する」っていうことをまあ、してみよっかなーーー。と思っていた。

全く気持ちは乗っていないけど、やらない理由がなかったから。

智哉さんに言われた「暫定でもいいから動いて、更新していく」ことをやってみようかな、と思ったし、時間はまだあるし。

 

で、それを赤十字ボランティアSarahに話したとき、こういわれた。

「確かにいいアイデアだけど、文房具を寄付することでこっちの人が得られていた収入がなくなることも忘れないでね。」

ぐさあああああああっっっ。

 

私はうぃんうぃんやん、普通に良くね、って思ってたけど、盲点刺された瞬間でした。

これが今日実感値を伴って体感した「正義の対義語は。」

 

クメール・ルージュのことや、ナチスドイツのことを勉強したりするうえでも、「正義の対義語は」を感じる瞬間がある。

どこかの国のAIロボットが「ナチスは正しい」みたいな発言をして停止させられた、なんてニュースもあったよな。

 

眠いので寝ますね。明日の授業どうしようかなあ(´・ω・`)